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1985年、トルコ航空の特別機がテヘランの日本人を乗せた

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はじめのひとこと

1985年3月、テヘランにいた日本人が、トルコ航空の特別機で脱出しました。

日本側の頼みに応じて、トルコ航空は大型機を1機増やし、在留のトルコ人より先に日本人を乗せた、と当時の国会の記録にあります。

In March 1985, Japanese people who were in Tehran got out on a special flight of Turkish Airlines.

According to Japan's parliamentary records of the time, at Japan's request Turkish Airlines added one large plane and took the Japanese on board ahead of the Turks living there.

Mart 1985'te Tahran'daki Japonlar, Türk Hava Yolları'nın özel bir uçağıyla oradan ayrıldı.

Japonya'nın o döneme ait meclis kayıtlarına göre, Türk Hava Yolları Japonya'nın ricası üzerine büyük bir uçak daha ekledi ve Japonları oradaki Türklerden önce uçağa aldı.

当時の外務大臣、安倍晋太郎は、国会でこう説明しています。

トルコの大使から日本の野村大使に、特別機を提供しましょうという申し出があり、すぐに受けた。

そしてトルコの特別機に乗せて、二百名が脱出した、と。

特別機が出た理由は、「トルコと日本のこれまで積み重ねた外交の成果」だ、と述べています。

日本とトルコの長い友好関係が実ったもの、とも述べています。

この救出は、1890年のエルトゥールル号の遭難への恩返しだった、と伝えられています。

ただ、1985年から1986年の国会の記録に、「エルトゥールル」の語は一度も出てきません。

国会の記録にこの語が初めて出るのは1992年です。

1890年の遭難と1985年の救出を結びつけて語る答弁が出てくるのは、2009年です。

記録の言葉

この話のもとになった記録の言葉です。ページは、その本に刷られたものです。

『国会会議録』第102回国会 参議院予算委員会 第11号(昭和60年3月20日)・衆議院内閣委員会(3月28日)・参議院外務委員会(4月3日)ほか一次史料

  • 実は現地の日本大使館が働きかけておりましたトルコから、トルコの大使から日本の大使、野村大使に対しましてトルコが特別機を提供しましょうという向こうのオファーがあったわけでございます。そこで、大変ありがたいことで、早速お受けをして、そしてトルコの特別機に乗せまして二百名脱出したわけですが
    1985年3月20日 参議院予算委員会 第11号 発言番号3
  • トルコ航空が我が方からの要請を受けて特別に一台大型機を増便するという形になりまして、これに日本人を優先的に乗せるという話が出てまいりました(政府委員 谷田正躬・1985-04-03 参議院外務委員会)/トルコは、日本の野村大使からの要請にこたえまして、早速特別機を出してくれまして、在留トルコ人に先立って邦人を送ってくれたわけであります(外務大臣 安倍晋太郎・1985-03-28 衆議院内閣委員会)
    1985年4月3日 参議院外務委員会 発言番号12
  • 特別機を出したというのは、それも日本のために出したというのはトルコ航空だけでありまして、これはやはりトルコと日本のこれまで積み重ねた外交の成果であったと思いますね(1985-04-03 参議院外務委員会)/これは日本とトルコの伝統的なやはり長い友好関係というものが結実といいますか、そういう人道的な、何といいますか特別機の救援というところに結びついたんじゃないか(同)
    1985年4月3日 参議院外務委員会 発言番号13

「エルトゥールル号遭難事件」(ウィキペディア日本語版)

  • 215名の日本人はこれに分乗し、全員トルコに救出され、やがて日本へ帰国できた
    「イラン・イラク戦争中におけるトルコ航空機によるテヘラン邦人救出事件」節(2026年9月26日閲覧)
  • 野村元大使自身が語ったところによれば、同氏は「フセインの言うタイムリミットの前日の18日夕方」に、ビルセル大使(当時の駐イラン・トルコ大使)から、「明日、トルコ航空機が2機来る。空席があるから日本人の搭乗希望者数を教えてほしい」という電話を受けた
    「実際の経緯と、映画「海難1890」におけるストーリーの相違」節(2026年9月26日閲覧)

串本町「日本とトルコの絆をつないだ物語」(串本町公式サイト)

  • 取り残された日本人215名。 そのとき、トルコから駆けつけた救援機2機により、全員がイランを脱出。
    2026年9月26日閲覧
  • 後に駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏は当時、次のように語られました。「エルトゥールル号の事故に際して、日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。
    「エルトゥールル号の恩返し」(2026年9月26日閲覧)
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