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No.13アメリカ土佐清水(高知)

土佐の少年をアメリカの捕鯨船が救い、二十年後に少年は船長を訪ねた

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INTRODUCTION ・ はじめのひとこと

土佐とさの漁師の子と伝えられる、万次郎という少年がいました。

天保てんぽう十二年の十二月、乗った漁船が流されます。

たどり着いたのは、人の住まない島でした。

In Tosa, on the Pacific coast of Japan, there was a boy named Manjirō, said to be a fisherman's son.

In the twelfth month of the twelfth year of Tenpou, the boat he was in was blown out to sea.

Where it finally landed was an uninhabited island.

五人は洞穴に寝起きし、アホウドリとその卵を食べて、半年を越しました。

七月になって、一隻の帆船が通りかかります。

アメリカの捕鯨船、ジョン・ハウランド号。

船長の名は、ホイットフィールド。

船長は少年を、アメリカのニューベッドフォードの港へ連れて行きました。

万次郎は船長の世話で、三年ほど学校に通います。

やがて万次郎は、カリフォルニアの金山へ行き、十日で六百金の砂金を掘りました。

それを元手に、日本へ帰ります。

嘉永五年(1852年)のことでした。

その翌年、アメリカの軍艦が浦賀に来ます。

幕府は彼を召し出しました。

万次郎は江戸で英語を教えています。

福澤諭吉。榎本武揚えのもとたけあき。大鳥圭介。みな、その教室にいた人たちです。

そして万延元年(1860年)、日本の軍艦咸臨丸かんりんまるがアメリカへ渡ります。艦長は勝海舟。

その通詞つうじ、通訳に選ばれたのが、万次郎でした。

記録はこう書いています。船の道具の名前は、普通の通訳では務まらない、と。

そして、別れから二十年後。

万次郎は、役目でヨーロッパへ渡った帰りに、もう一度アメリカのニューベッドフォードを訪ねました。

昔の恩人、ホイットフィールド船長を訪ね、その恩に礼を述べています。

RECORDS ・ 記録の言葉

この話のもとになった記録の言葉です。ページは、その本に刷られたものです。

土佐清水市「ジョン万次郎資料館(海の駅あしずり)」(土佐清水市公式サイト 観光地情報)

  • 現在の土佐清水市中浜に貧しい漁師の子として生まれた万次郎は、14歳の時に出漁中に遭難
    2026年9月26日閲覧
  • 万次郎が持ち帰った情報・知識・技術は、坂本龍馬をはじめ多くの者に影響を与えました
    2026年9月26日閲覧

幡多郡郷土史(幡多郡教育会編・寺石正路)

幕末軍艦咸臨丸(文倉平次郎)

FOR GUIDES ・ ガイドのかたへ

PDF の後半 2 ページはガイド用です。読み上げる台本、語り方のコツ、事柄ごとに「どこまで言い切ってよいか」、記録の言葉と原本の切り出しが載っています。お客様用の面の裏に来ないよう、両面印刷で組んであります。

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