No.14ロシア伊勢・白子の港(鈴鹿)根室

伊勢の船頭の大黒屋光太夫は、漂流してロシアへ渡り、女帝エカチェリーナ2世に会った

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INTRODUCTION ・ はじめのひとこと

天明二年(1782年)の十二月、伊勢の白子しろこの港から、一隻の船が出ました。

船頭は、大黒屋光太夫だいこくやこうだゆう。船は流され、翌年、ロシア領の島に流れ着きます。

光太夫はやがて、都のペテルブルグで、女帝エカチェリーナ2世に会いました。

In the twelfth month of the second year of Tenmei, 1782, a ship left the port of Shiroko in Ise.

Her captain was Daikokuya Kōdayū. The ship drifted, and the next year it reached an island in Russian territory.

In time, Kōdayū met the Empress Catherine II in the capital, St Petersburg.

В двенадцатом месяце второго года эры Тэммэй, в 1782 году, из порта Сироко в провинции Исэ вышел корабль.

Его капитаном был Дайкокуя Кодаю. Корабль унесло в море, и на следующий год он пристал к острову на русской территории.

Со временем Кодаю встретился в столице, Санкт-Петербурге, с императрицей Екатериной II.

流れ着いたのは、ロシア領のアムチトカ島です。天明三年の七月でした。

光太夫はそれから、ロシアの国内をめぐって、都ペテルブルグまで行きます。

その見聞を書き留めた本『北槎聞略ほくさぶんりゃく』の訳は、こう書いています。

「首都ペテルブルグにいたり、時の女王エカテリナ二世に謁見えっけんした」。

光太夫は女帝に、日本へ帰りたいと願い出ました。

やがて、「願にまかせて歸國を許す」と申し渡されます。

寛政四年(1792年)の九月、光太夫たちは、ロシアの使節の船で根室へ送り届けられました。

光太夫の見聞は、桂川甫周かつらがわほしゅうが聴き取り、『北槎聞略』という一冊にまとめています。

RECORDS ・ 記録の言葉

この話のもとになった記録の言葉です。ページは、その本に刷られたものです。

桂川甫周『北槎聞略』(寛政6年・1794)の現代語訳。竹尾弌訳『北槎聞略 光太夫ロシア見聞記』(武蔵野書房、昭和18年)一次史料

FOR GUIDES ・ ガイドのかたへ

PDF の後半 2 ページはガイド用です。読み上げる台本、語り方のコツ、事柄ごとに「どこまで言い切ってよいか」、記録の言葉と原本の切り出しが載っています。お客様用の面の裏に来ないよう、両面印刷で組んであります。

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