No.16ベトナム長安(中国・西安)春日の三笠山(奈良)

唐で朝衡と名を改めて仕えた阿倍仲麻呂を、李白は死んだと思って詩で悼んだ

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INTRODUCTION ・ はじめのひとこと

阿倍仲麻呂あべのなかまろは、遣唐使に従う留学生として、唐に渡った日本人です。

唐では朝衡ちょうこうと名を改めて仕え、高い位につきました。

その仲麻呂の帰りの船が、嵐で流れ着いた先は、安南あんなんでした。

Abe no Nakamaro was a Japanese who went to Tang China as a student with an embassy.

In China he took the name Chao Heng, served the court, and rose to high office.

When he set out for home, his ship was driven by a storm to Annam.

Abe no Nakamaro là một người Nhật sang nhà Đường làm lưu học sinh, theo một sứ đoàn.

Ở nhà Đường, ông đổi tên là Triều Hành, làm quan và lên đến chức cao.

Khi ông lên đường về nước, con thuyền của ông gặp bão và dạt vào An Nam.

帰国の船に乗る明州めいしゅうで、仲麻呂は唐の人々と別れ、月を見て和歌を詠んだ、と『大日本史』は伝えています。

「春日なる三笠の山に出でし月かも」。

故郷の春日の、三笠の山に出た、あの月だろうか、という歌です。

ところが、海の上で風に遭い、船は安南あんなんに流れ着きました。

唐の人々は、仲麻呂は溺れ死んだと思いました。

李白は、仲麻呂を悼む詩「哭晁卿衡こくちょうけいこう」を作っています。

けれども、その知らせは誤りでした。

仲麻呂は生きていて、一緒に帰ろうとした藤原清河ふじわらのきよかわとともに、唐に戻りました。

そして日本に帰れないまま、宝亀ほうき元年(770年)の正月、唐で亡くなりました。七十歳でした。

RECORDS ・ 記録の言葉

この話のもとになった記録の言葉です。ページは、その本に刷られたものです。

国民文庫刊行会『国訳漢文大成』続第8巻 第1輯(李太白詩集、昭和15年)

FOR GUIDES ・ ガイドのかたへ

PDF の後半 2 ページはガイド用です。読み上げる台本、語り方のコツ、事柄ごとに「どこまで言い切ってよいか」、記録の言葉と原本の切り出しが載っています。お客様用の面の裏に来ないよう、両面印刷で組んであります。

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