No.23ベトナムホイアンの来遠橋(ベトナム)

十七世紀のホイアンに日本人町があり、町の来遠橋は「日本橋」と呼ばれてきた

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INTRODUCTION ・ はじめのひとこと

十七世紀、ベトナムの港町ホイアンには、日本人町がありました。

朱印船の積荷は、そこに住む日本人の手を通して売りさばかれていました。

町の来遠橋らいえんきょうは、「日本橋」と呼ばれてきた、と伝えられています。

In the seventeenth century, the Vietnamese port of Hoi An had a Japanese quarter.

Cargo from Japan's licensed trading ships was sold through the Japanese who lived there.

The town's Lai Vien Bridge, it is said, has long been called the "Japanese Bridge."

Vào thế kỷ XVII, thương cảng Hội An của Việt Nam có một khu phố của người Nhật.

Hàng hóa từ các thuyền châu ấn được bán ra qua tay những người Nhật sống ở đó.

Người ta kể rằng cây cầu Lai Viễn của phố từ lâu đã được gọi là "cầu Nhật Bản".

ホイアンは、十六世紀から十八世紀にかけて、ヨーロッパとアジアをつなぐ交易の港として栄えました。

十七世紀には、日本人町があったことで知られています。

朱印船は、近くの港ツーラン、いまのダナンに入りました。

積荷はそこからホイアンの日本町の住民の手に移され、そこで売りさばかれた、と政治学者の大岩誠は書いています。

戦時中の読み物は、「日本人の遺跡として、町の西方に、來遠橋らいえんきょうといふのがある」と書いています。

そして、「なほ『日本橋』と呼ばれてゐる」と。

誰がこの橋を建てたのかは、この本は書いていません。

ホイアンの町並みは、1999年12月に、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。

RECORDS ・ 記録の言葉

この話のもとになった記録の言葉です。ページは、その本に刷られたものです。

安藤勝洋・福川裕一・友田博通「ベトナム・ホイアンにおける町並み保存システムの形成過程と特徴」『日本建築学会計画系論文集』80巻708号(2015年)

  • 16世紀~18世紀にヨーロッパとアジアとを繋ぐ国際交易港として栄え、17世紀には日本人町が存在していたことで知られる
    p.379
  • 1999年12月には、生きている文化遺産としてユネスコ世界文化遺産への登録を果たした
    p.379

大岩誠『南アジア民族政治論』(万里閣、昭和17年)

萩原新生『南海雄飛の人々』(皇国青年教育協会、昭和17年)

FOR GUIDES ・ ガイドのかたへ

PDF の後半 2 ページはガイド用です。読み上げる台本、語り方のコツ、事柄ごとに「どこまで言い切ってよいか」、記録の言葉と原本の切り出しが載っています。お客様用の面の裏に来ないよう、両面印刷で組んであります。

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