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No.26オーストラリア木曜島(オーストラリア)

木曜島の真珠貝採取と、和歌山から渡った潜水夫

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INTRODUCTION ・ はじめのひとこと

オーストラリアの北の端に、木曜島もくようとうという島があります。

真珠貝しんじゅがいを採る島でした。

その海に潜っていたのは、和歌山わかやまの漁村から来た人たちです。

At the northern tip of Australia lies a small island called Thursday Island.

It was a pearl-shell island.

The men who dived in that water came from fishing villages in Wakayama, in Japan.

採貝船さいかいせん、貝を採る船は二十トンほどの木造の帆船でした。

乗組員は七人から十人。そのうち潜水夫は一人か二人です。

日本の役所が人を送って現地を調べさせた報告書が残っています。

潜水夫の雇い方、給料、かかる費用。

それぞれの表に、日本人の乗組員が書き込まれています。

浅い海へ三か月出るときの、携帯食料の表もあります。

米、砂糖、酢、塩、ケロシン油、牛の缶詰、小豆など。

そのころのオーストラリアは、法律でアジアからの移民を止めていました。

真珠貝の潜水夫は、雇い主が特別な許可を取って呼び寄せた、と伝えられています。

明治四十四年(1911年)の視察の報告書は、こう書いています。

契約移民法によって日本人とセイロン人を雇っているが、連邦政府はこれを歓迎していないようだ、と。

1919年の暮れからアジア人を使わせないと決めた委員会がありましたが、その決定は実行されないまま消えました。

昭和九年(1934年)からの七年間で、七百六十七人が海を渡っています。

島には会員三百人の日本人会がありました。

稼いだお金を故郷こきょうへ送った記録も残っています。

現地の銀行を通した為替かわせの枚数と金額が、年ごとに並んでいます。

RECORDS ・ 記録の言葉

この話のもとになった記録の言葉です。ページは、その本に刷られたものです。

濠洲及「ニュージーランド」視察復命書一次史料

在外邦人団体名簿(仮版)一次史料

木曜島移民名簿一次史料

濠洲聯邦の産業概要

海外移住問題の実際

FOR GUIDES ・ ガイドのかたへ

PDF の後半 2 ページはガイド用です。読み上げる台本、語り方のコツ、事柄ごとに「どこまで言い切ってよいか」、記録の言葉と原本の切り出しが載っています。お客様用の面の裏に来ないよう、両面印刷で組んであります。

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