No.36イタリア切支丹屋敷跡(文京区小日向)屋久島・湯泊

この切支丹屋敷の跡で見つかった骨は、イタリア人宣教師シドッチと判断された

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INTRODUCTION ・ はじめのひとこと

この切支丹屋敷きりしたんやしきの跡で、2014年の発掘調査のとき、葬られた人の骨が見つかりました。

その一つは、DNAの分析でヨーロッパ人とされました。

そして、イタリア人の宣教師、ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッチと判断されたのです。

Here, on the site of the Kirishitan Yashiki, a dig in 2014 found the bones of people who had been buried.

DNA analysis identified one of them as a European.

And he was judged to be the Italian missionary Giovanni Battista Sidotti.

Qui, nel sito della Kirishitan Yashiki, durante gli scavi del 2014 furono trovate le ossa di persone sepolte.

L'analisi del DNA identificò una di esse come europea.

E si stabilì che si trattava del missionario italiano Giovanni Battista Sidotti.

話は、宝永ほうえい五年(1708年)の屋久島やくしまから始まります。

八月二十八日、湯泊ゆどまり村の沖に出た漁師たちが、見慣れない大きな船が一隻浮かんでいるのを見つけました。

翌二十九日、木を伐っていた百姓の前に、刀を差した見慣れない人が現れ、手招きをした、と取り調べの記録は書いています。

島津家の家譜は、その日のことを「島中忽見一人」、島の中にたちまち一人の人が現れた、と書いています。

長崎での取り調べの記録は、彼を「イタリヤ國ロウマの者」としています。

そして、願いごともなく、ただ宗門を勧めることばかりを言った、と書きます。

同じ記録は、六月ごろから屋久島に来ていた、とも書いていて、船を見た日とは合いません。

新井白石あらいはくせきは、彼との問答のあらましを二冊にまとめて差し出した、と書いています。

白石はこのことを『西洋紀聞』三巻に記しました。

一巻目は事の始まりと終わり、二巻目は彼が語った海外の国々のこと、三巻目は問いに答えたことのあらましです。

記録には、彼がこの切支丹屋敷きりしたんやしきに葬られた、とあります。

RECORDS ・ 記録の言葉

この話のもとになった記録の言葉です。ページは、その本に刷られたものです。

新井白石『西洋紀聞』(村岡典嗣校訂、岩波書店、昭和11年)一次史料

文京区教育委員会ほか『東京都文京区 切支丹屋敷跡』(B-144-1、2016年)の書誌・抄録(奈良文化財研究所 全国遺跡報告総覧)

  • これらの内1基は、DNA分析の結果、被葬者はヨーロッパ人であることが指摘された。「切支丹屋敷」内にはイタリア人宣教師ジョヴァンニ・バティスタ・シドッチが埋葬されたとの記述があり、今回検出された人骨は、考古学、自然科学分析、文献史学の調査成果からシドッチであると判断されるに至った
    要約(2026年9月26日閲覧)
  • 調査期間 20140403-20140805
    調査期間(2026年9月26日閲覧)
FOR GUIDES ・ ガイドのかたへ

PDF の後半 2 ページはガイド用です。読み上げる台本、語り方のコツ、事柄ごとに「どこまで言い切ってよいか」、記録の言葉と原本の切り出しが載っています。お客様用の面の裏に来ないよう、両面印刷で組んであります。

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