いま立っているこの島は、砲台です。
ペリーの艦隊が来たあと、江戸の海に築かれました。
そして、一度も使われませんでした。
The island you are standing on is a gun battery.
It was built in the bay after Perry's fleet arrived.
And it was never once used.
東京市が昭和二年に編んだ『品川臺場』という本が、その経緯を残しています。
一番から三番は嘉永六年の八月に起工し、九か月で翌年四月に完成しました。
五番と六番は嘉永七年に起工し、その十一月に完成しています。御殿山下の台場も、同じときに完成しました。
しかし、そこまででした。
本にはこうあります。「下臺場と都合六箇所完成した計りで、」。
完成したのは、御殿山下台場を含めて六箇所だけです。残りは工事が止まるか、着手されないまま終わりました。
途中で止まったのは四番と七番の台場だと伝えられています。
そして、この砲台は一度も使われていません。
「折角築造はせられたが之れを使用しなかつた」と本は書きます。
その本が書かれた昭和二年の時点で、江戸の守りの史蹟のうち残っているのは品川台場だけだと書いています。
歩ける場所として残ったのは第三台場だと伝えられています。
第六台場は、いまも海の上に保たれていると伝えられています。
A book called Shinagawa Daiba, compiled by the City of Tokyo in the second year of Showa, records how it came about.
Batteries One to Three were begun in the eighth month of Kaei 6 and finished nine months later, in the fourth month of the following year.
Five and Six were begun in Kaei 7 and finished in the eleventh month of that year. The one below Gotenyama was finished at the same time.
And that was as far as it went.
The book says: "counting the lower battery, only six were completed."
Six in all, counting the one below Gotenyama. The rest were halted partway or never begun.
Batteries Four and Seven are said to be the ones that were halted.
And these guns were never used.
"They were built with great effort," the book says, "and then were not used."
As of the second year of Showa, when the book was written, it says the Shinagawa batteries were the only remains of Edo's defences still standing.
Battery Three is said to be the one left that you can walk on.
Battery Six is said to be still kept out in the water.
この話のもとになった記録の言葉です。ページは、その本に刷られたものです。
品川臺場
江戶市民は此の度大仕掛な洋式砲臺が、直ぐ眼前の品川灣內に築造されたこと/米使節の來國、品川臺場の築造、日米和親條約の締結等は、相關連して、最も著名な出來事
前述のやうな事情の下に品川臺場は折角築造はせられたが之れを使用しなかつた
上述の史蹟中、現存するものは實に我が品川臺場のみで
公開せんとするものは相對的保存法に依つて保存せんとする市有三番臺場で總面積八千五百二十二坪の地積である/本市唯一の海上公園として、之れを市民の保健、休養、〓化の機關たらしめんとするもの
一番、二番、三番の三箇所は、嘉永六年八月起工し經營九箇月で、翌年四月竣工した
五番六番の二箇所は嘉永七年正月起工し、その十一月竣工した。御殿山下臺場も同時に竣工した
下臺場と都合六箇所完成した計りで、四番は七分、三番は三分の工事で中止せられ、八番以下は
品川臺場(東京市・昭和2年)
「台場の歴史」(海上公園なび お台場海浜公園&台場公園)
当時の面影をしのばせる第三台場/(第六台場は)自然豊かで学術的にも貴重な史跡として海上に保全されています
1926(大正15)年10月/第三・第六台場が国史跡に指定
1928(昭和3)年7月/第三台場が都市公園「台場公園」として開園
大東京史蹟案内(一高史談会 編・育英書院・昭和7年)
一·二·三番は八ヶ月を經て翌安政元年四月に竣工し、五·六番及び洲崎臺場は同年十一月竣工した。四番·七番は工事半にして神奈川條約を初め諸國との通商條約が締結されたので、四番は七分通り、七番は海中埋立のみで中止され、他は全然着手されなかつた
PDF の後半 2 ページはガイド用です。読み上げる台本、語り方のコツ、事柄ごとに「どこまで言い切ってよいか」、記録の言葉と原本の切り出しが載っています。お客様用の面の裏に来ないよう、両面印刷で組んであります。