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No.5ポーランド敦賀港

シベリアをさまよったポーランドの子どもたちを、日本赤十字社が引き取った

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INTRODUCTION ・ はじめのひとこと

この敦賀つるがの港に、シベリアから、ポーランドの子どもたちが船で着きました。

ロシアの内戦のなかで、親の居場所も分からずにさまよっていた子どもたちです。

引き取ったのは、日本赤十字社でした。

Polish children arrived by ship from Siberia at this port of Tsuruga.

In the Russian civil war they had been wandering, not even knowing where their parents were.

The ones who took them in were the Japanese Red Cross.

Do tego portu w Tsurudze przypłynęły statkiem z Syberii polskie dzieci.

W czasie rosyjskiej wojny domowej błąkały się, nie wiedząc nawet, gdzie są ich rodzice.

Przyjął je Japoński Czerwony Krzyż.

日本赤十字社は、こう決めています。

「本件ハ國交上竝ならびに人道上寔まことニ重要ノ事件ニシテ救援ノ必要ヲ認ムル」。

国と国のつきあいの上でも、人の道の上でも大事な件で、救う必要がある。だから引き取って養う、と。

大正九年(1920年)の七月、最初の一行がウラジオストクを出て、二十二日にこの敦賀に上陸しました。

子どもたちは東京で養われました。一回目は、あわせて三百七十五人です。

そのうち三百七十人は、アメリカのポーランド人の救助会へ送り出されています。

日本を発つとき、子どもたちは覚えた日本語で「有難ウ」と礼を言い、日本とポーランドの国歌を歌いました。

大正十一年(1922年)には、二回目の三百九十人が大阪で養われました。

この子どもたちは神戸から船でロンドンへ渡り、イギリスの船に乗り換えて、ダンチヒに着きました。

神戸を発つときも、子どもたちは両国の国歌を歌い、「有難トウ」と礼を言っています。

記録の二つの表を足すと、七百六十五人になります。

よく「日本が子どもたちを本国へ送り届けた」と言われます。

けれども記録では、一回目の子どもたちはアメリカへ送られ、船でヨーロッパへ向かったのは二回目の子どもたちです。

RECORDS ・ 記録の言葉

この話のもとになった記録の言葉です。ページは、その本に刷られたものです。

日本赤十字社史続稿(明治四十一至大正十一年)

FOR GUIDES ・ ガイドのかたへ

PDF の後半 2 ページはガイド用です。読み上げる台本、語り方のコツ、事柄ごとに「どこまで言い切ってよいか」、記録の言葉と原本の切り出しが載っています。お客様用の面の裏に来ないよう、両面印刷で組んであります。

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