原宿の竹下通りのすぐ裏に、一人の提督を祀る神社があります。
東郷平八郎。
彼は若いころ、英国で航海を学びました。
ただし、英国海軍の学校ではありません。
Just behind Takeshita Street in Harajuku there is a shrine to an admiral.
His name was Tōgō Heihachirō.
As a young man he learned his seamanship in Britain.
But not at a Royal Navy school.
日本政府は、海軍の生徒を英国海軍の学校に入れてほしいと頼みました。
英国海軍省は、これを断ります。
残っている書簡には、こう説明されています。海軍学校はすでに定員が満ちている。ほかの国、スウェーデンの政府にも同じように断っている、と。
そこで東郷が乗り組んだのが、商船学校にあたる練習船ウースター号でした。
当時の記録は、こう書いています。「東郷見習士官は止を得ず」。やむを得ず、と。
のちの日露戦争のころ、その船の元船長スミス大佐がこう語ったと伝えられています。
「予の教育したる者の中から、極東の最大海將を出したことは、予の榮譽として誇る所である」
そして四十年後。
東郷は英国を再訪し、ウースター号を訪ねました。
舷梯、船の階段を登り、甲板を歩く。帆柱も、桁も、綱の一本まで昔のままだ、と記録は書いています。
ウースター協会の晩餐会で、東郷は英語で挨拶しました。
「現に余の如きは國籍をも異にせるにあらずや」
「然れども、爰に吾人の總てを結付くる一箇共通の紐條あり」
「卽ち『ウースター』是れなり」
スミス大佐は、戦争のあいだ、たびたび手紙を寄せていました。
東郷はその手紙が「多大の慰藉と激勵」を与えてくれたと述べています。
ただし大佐は、東郷が英国に着く前に亡くなっていました。
礼を言えなかったことを、東郷は「無限の遺憾」と述べています。
The Japanese government asked that its naval cadets be admitted to a Royal Navy school.
The Admiralty refused.
A surviving letter gives the reason: the naval school was already full, and Sweden had been turned away on the same grounds.
So Tōgō joined the Worcester — a training ship of the merchant service.
The record puts it plainly: he went "having no other course open to him."
Later, around the time of the Russo-Japanese War, his old captain, Captain Smith, is said to have remarked:
"That from among those I taught there came the greatest admiral of the Far East — that I count as my own honour."
Forty years on.
Tōgō returned to Britain and went aboard the Worcester again.
Up the gangway, along the deck. The masts, the yards, every rope just as they were, the record says.
At a dinner of the Worcester Association, he spoke in English.
"I differ from you even in nationality."
"And yet there is one common cord that binds us all together here."
"It is the Worcester."
Captain Smith had often written to him during the war.
Tōgō said those letters had given him "great comfort and encouragement."
But Smith had died before Tōgō reached England.
That he never thanked him in person, Tōgō called "a regret without end."
この話のもとになった記録の言葉です。ページは、その本に刷られたものです。
聖将東郷平八郎伝
英國の海軍協會から一個の賜物が同元帥の手許に屆いた…同協會に保存してあるネルソン提督の遺墨の一部を硝子器に入れたものと、銅製の同提督小胸像
東郷元帥が八年の英國留學中、十八ケ月間を其處に學びたる練習艦ウースター號
予の教育したる者の中から、極東の最大海將を出したことは、予の榮譽として誇る所である
殊に此のウースター號には、一人の有名なる大海將が、十八ヶ月間勤務を爲したと云ふ大切な記錄があるので、益々以て男性的光榮を覺えせしめる。然うして其の事を憶ひ起すのは、予に取つても欣快此の上も無い所である。其の大海將とは誰ぞ、言ふまでも無くグレート・アドミラル東郷である!
現に予の如きは國籍をも異にしてをるでは無いか。然し爰に其等の總てを結付ける共通の紐が存する。練習船ウースター號が卽ち夫れである
東郷平八郎全集(平凡社)
東郷大將は四十年間時々夢に入れる懷かしの「ウースター」號を訪問せり。登る舷梯、步む甲板、さては檣、桁より動索、靜索の有樣まで、嗚呼昔の儘の姿かな
最近の戰爭中彼は屢〻余に深切なる書を寄せたり、余の第二の故郷たる英國よりせる此の書翰は、實に余に多大の慰藉と激勵とを與へたり
現に余の如きは國籍をも異にせるにあらずや。然れども、爰に吾人の總てを結付くる一箇共通の紐條あり、卽ち「ウースター」是れなり
スミス大佐は余の英國に來るを待たで逝かれ、余をして親しく過去に於ける厚情を謝するの機會を失はしめたるは無限の遺憾なり
既に海軍局にて他國之政府則瑞典政府に海軍學校に人員相滿居候間、右同樣之儀及斷候次第も有之候趣を以て、日本生徒入門之儀被斷候旨
東郷はウースター號が出したる海軍々人中に在て、最も成績良き一人にして、予の教育したる者のうちに、極東の最大海將のあることは、予の…
練習船「ウースター」號に乘組み海軍を學ぶこと二年に及ぶ
英國海軍省は、事情ありて我が希望を承諾せざりしを以て…當時の狀況恁くの如くなりしを以て、東郷見習士官は止を得ず、傳を求めてウースターと呼ばるる練習船に乘組みぬ。練習船は商船學校の如きものにて
PDF の後半 2 ページはガイド用です。読み上げる台本、語り方のコツ、事柄ごとに「どこまで言い切ってよいか」、記録の言葉と原本の切り出しが載っています。お客様用の面の裏に来ないよう、両面印刷で組んであります。