No.53イギリス東郷神社(原宿)

東郷平八郎は、英国海軍の学校に断られて商船の練習船で学んだ

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INTRODUCTION ・ はじめのひとこと

原宿の竹下通りのすぐ裏に、一人の提督を祀まつる神社があります。

東郷平八郎。

彼は若いころ、英国で航海を学びました。

ただし、英国海軍の学校ではありません。

Just behind Takeshita Street in Harajuku there is a shrine to an admiral.

His name was Tōgō Heihachirō.

As a young man he learned his seamanship in Britain.

But not at a Royal Navy school.

日本政府は、海軍の生徒を英国海軍の学校に入れてほしいと頼みました。

英国海軍省は、これを断ります。

残っている書簡には、こう説明されています。海軍学校はすでに定員が満ちている。ほかの国、スウェーデンの政府にも同じように断っている、と。

そこで東郷が乗り組んだのが、商船学校にあたる練習船ウースター号でした。

当時の記録は、こう書いています。「東郷見習士官みならいしかんは止やむを得ず」。やむを得ず、と。

のちの日露戦争のころ、その船の元船長スミス大佐がこう語ったと伝えられています。

「予の教育したる者の中から、極東の最大海將かいしょうを出したことは、予の榮譽えいよとして誇る所である」

そして四十年後。

東郷は英国を再訪し、ウースター号を訪ねました。

舷梯げんてい、船の階段を登り、甲板を歩く。帆柱も、桁けたも、綱の一本まで昔のままだ、と記録は書いています。

ウースター協会の晩餐会で、東郷は英語で挨拶しました。

「現に余の如きは國籍をも異にせるにあらずや」

「然しかれども、爰ここに吾人ごじんの總てを結付くる一箇共通の紐條ちゅうじょうあり」

「卽すなわち『ウースター』是れなり」

スミス大佐は、戦争のあいだ、たびたび手紙を寄せていました。

東郷はその手紙が「多大の慰藉いしゃと激勵」を与えてくれたと述べています。

ただし大佐は、東郷が英国に着く前に亡くなっていました。

礼を言えなかったことを、東郷は「無限の遺憾」と述べています。

RECORDS ・ 記録の言葉

この話のもとになった記録の言葉です。ページは、その本に刷られたものです。

聖将東郷平八郎伝

東郷平八郎全集(平凡社)

FOR GUIDES ・ ガイドのかたへ

PDF の後半 2 ページはガイド用です。読み上げる台本、語り方のコツ、事柄ごとに「どこまで言い切ってよいか」、記録の言葉と原本の切り出しが載っています。お客様用の面の裏に来ないよう、両面印刷で組んであります。

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