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No.62外国人共通千住大橋(千住宿)上野公園浅草寺

明治三年、東京の外国人が歩いてよい範囲が、布告で線を引いて決められた

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INTRODUCTION ・ はじめのひとこと

明治三年(1870年)、東京に住む外国人が歩いてよい範囲が、布告ふこくで線を引いて決められました。

その内側なら、外国人は勝手に歩いてよい、と布告は定めています。

布告は、外国人から庭を見たいと言われたときの応じ方まで定めていました。

In 1870, the third year of Meiji, a decree drew a line around the area in which foreigners living in Tokyo were allowed to walk.

Inside that line, it said, foreigners might go about as they pleased.

The decree even laid down how to respond if a foreigner asked to see a garden.

境は、新利根川の口から北は金町、西は千住宿せんじゅじゅくの大橋。そこから隅田川を上り、村々を経て日野の渡し場、玉川の口まで。

布告は、線を引いた理由をこう書いています。

互いに礼儀が違い、ことにあちらの貴人も気軽に旅をする風なのに、「在々ざいざい之人民未タ外國人ノ情態ヲモ熟知セザル」。

村々の人たちは、まだ外国人の様子をよく知らない、と。

外国人が途中で休みたい、泊まりたいと言えば、所の役人へ案内し、差し支えなければ望みどおりにする。旅籠はたごの代金は、双方の話し合いで受け取る。

庭や池を一目見たいと言われたら、入って差し支えない場所へは案内し、差し支えのある場所は断る。

寺や神社では、人々が入って拝む場所までは、入ってよい。

神聖で人を入れない場所や、廟所びょうしょ、墓所は断る。ただ、先方が強く望み、寺の主も強いて差し支えないなら、臨機に、と続けています。

さかのぼって明治元年(1868年)の九月には、外国人が東京の寺社を見ることを許す通達つうたつが出ていました。

同じ年の十二月二日、東京府は、外国人を市中の旅籠に泊めてはならない、と通達しています。

泊まりたいと言われたら、築地の外国人旅館へ行くよう諭し、止宿ししゅく、泊めることは堅く断れ、と。

その理由も、互いに礼儀が違い、東京の人々が外国人の様子をまだよく知らないから、でした。

RECORDS ・ 記録の言葉

この話のもとになった記録の言葉です。ページは、その本に刷られたものです。

東京市編『東京市史稿 遊園篇第四』(東京市、昭和7年)

内閣官報局『法令全書』明治三年(内閣官報局、明治20〜45年刊行の版)

内閣官報局『法令全書』明治五年(内閣官報局、明治20〜45年刊行の版)

FOR GUIDES ・ ガイドのかたへ

PDF の後半 2 ページはガイド用です。読み上げる台本、語り方のコツ、事柄ごとに「どこまで言い切ってよいか」、記録の言葉と原本の切り出しが載っています。お客様用の面の裏に来ないよう、両面印刷で組んであります。

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