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奈良の都の役所に、ペルシャ人の役人がいたと読める木簡

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はじめのひとこと

お客様がいま立っているこの平城宮の跡から、ある役人の名を書いた木簡もっかんが出ています。

「員外大属いんがいのだいさかん破斯はし清道」。

奈良文化財研究所は、この「破斯」を、ペルシャのことだと読んでいます。

From the site of Heijo Palace, where you are standing, came a wooden tablet with an official's name written on it.

It names "Hashi Kiyomichi," a supernumerary senior clerk.

The Nara National Research Institute for Cultural Properties reads this "Hashi" as Persia.

من موقع قصر هيجو هذا الذي تقفون فيه الآن، عُثر على لوح خشبي كُتب عليه اسم أحد الموظفين.

يذكر اللوح «هاشي كيوميتشي»، وهو كاتب أول زائد على الملاك.

ويقرأ معهد نارا الوطني لأبحاث الممتلكات الثقافية كلمة «هاشي» هذه على أنها تعني فارس.

木簡の日付は、天平神護元年(765年)です。

研究所の解説によれば、大学寮だいがくりょうが、上の役所の式部省しきぶしょうへ、宿直の役人を知らせた木簡です。

研究所は、「破斯」はふつう「波斯」と書くペルシャのことで、いまのイランを中心とする地域の国だ、と書いています。

出身の国の名を、そのまま氏の名として名乗っていたと読める、と研究所は書いています。

だから、ペルシャの人が事務の役人として、大学寮に勤めていたことになる、と。

学識を買われての登用かもしれない、とも書いています。

それまで奈良の都に来たペルシャ人として知られていたのは、一人だけでした。

天平八年(736年)に、遣唐使とともに来た李密翳りみつえいです。

『続日本紀』は、遣唐使の副使が「唐人三人波斯一人」を連れて、朝廷に参ったと書いています。

そして十一月、「波斯人李密醫」らに位が授けられた、と。

そのころのペルシャは、大きく動く時代だった、と研究所は書いています。

750年に、ウマイヤ朝が滅んでアッバース朝が立った、と。

記録の言葉

この話のもとになった記録の言葉です。ページは、その本に刷られたものです。

『続日本紀』巻十二・巻十八(経済雑誌社編『国史大系』第2巻、経済雑誌社、明治30年 所収)一次史料

奈良文化財研究所都城発掘調査部史料研究室編『平城宮跡資料館秋期特別展「地下の正倉院展―年号と木簡―」第1期解説シート』(奈良文化財研究所、2019年)

  • 大学寮解…申宿直官人事…員外大属破斯清道…天平神護元年□月廿四日…大学寮が上級官司の式部省に対し、宿直担当者を報告した
    p.(9)
  • 49の「破斯」はペルシャ(今のイランを中心とする地域にあった古代西アジアの国家)のこと。普通「波斯」と書くが、偏が違っても通用する場合があった
    p.(9)
  • 「破斯」と書かれた部分は、大学寮の員外大属のウジ名にあたる部分なので、出身国名をそのままウジ名として名乗っていたことがわかる…すなわち、ペルシャ人が事務官としてではあるが、大学寮に勤務していたことになる。あるいは学識を買われての登用かも知れない。
    p.(9)
  • 従来、平城京にやってきたペルシャ人としては、天平八年(七三六)に帰国した天平の遣唐使とともに来日した李密翳が知られるだけだった(『続日本紀』天平八年一一月戊寅〈三日〉条)。
    p.(9)
  • なお、破斯清道の祖国ペルシャは、李密翳が日本にやってきた頃のウマイヤ朝ペルシャが七五〇年に滅びてアッバース朝が成立するなど、激動の時代を迎えていた。
    p.(9)

奈良文化財研究所「木簡庫」木簡番号3752(奈良文化財研究所ウェブサイト)

  • 員外大属破斯清道…(天平神護1年1月24日)…765(年), (1)(月), 24(日)…平城宮宮域東南隅地区…奈良県奈良市佐紀町
    木簡番号3752の詳細(2026年9月29日閲覧)
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