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No.77外国人共通東禅寺(高輪)

ポルトガルの使節の船が品川の沖に来て、一行は高輪の東禅寺に泊まった

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INTRODUCTION ・ はじめのひとこと

万延元年(1860年)、ポルトガルの使節の船が品川の沖に来て、その一行は、この高輪の東禅寺に泊まりました。

『武江年表ぶこうねんぴょう』という記録は、こう書いています。

「同二十五日、ホルトガルの使船始て着し、高輪東禪寺に宿す」

In the first year of Man'en (1860), the ship of a Portuguese envoy came into the waters off Shinagawa, and his party stayed here, at Tozenji Temple in Takanawa.

A Japanese chronicle, the Buko Nenpyo, records it like this:

"On the twenty-fifth, the Portuguese envoy ship arrived for the first time, and lodged at Tozenji in Takanawa."

使節の名はギマレース。

和親通商条約を結ぶため、軍艦に乗って来たのです。

『維新史料綱要いしんしりょうこうよう』は、その軍艦が品川の沖に来たのを、五月二十四日としています。

老中の脇坂安宅わきさかやすおりと安藤信睦あんどうのぶゆきは、信睦の屋敷で使節と会い、国書を差し出すことと、条約を結ぶことについて話し合いました。

使節との会見は、この東禅寺に置かれていたイギリスの仮の公使館でも開かれ、条約の条文が審議されています。

外国奉行の溝口直清みぞぐちなおきよらは、再び使節と会って審議を終え、調印と、国書を差し出す日取りを相談しました。

そして六月十七日、外国奉行らは使節と、修好通商条約二十四か条と、貿易の決まり九か条を結んで、調印します。

使節は、十九日に去りました。

RECORDS ・ 記録の言葉

この話のもとになった記録の言葉です。ページは、その本に刷られたものです。

増訂武江年表一次史料

維新史料編纂事務局『維新史料綱要』(安政五年七月〜文久元年十二月の巻)

FOR GUIDES ・ ガイドのかたへ

PDF の後半 2 ページはガイド用です。読み上げる台本、語り方のコツ、事柄ごとに「どこまで言い切ってよいか」、記録の言葉と原本の切り出しが載っています。お客様用の面の裏に来ないよう、両面印刷で組んであります。

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