ガイドネタ帳 › 九州 › 長崎・出島 › No.10 オランダ
No.10オランダ長崎・出島小塚原(南千住)

鎖国のあいだ、西洋で日本と交易を許されたのはオランダだけだった

PDF は準備中です
最終確認前この話は、印刷用の PDF を準備しています。文はこのページで読めます。
INTRODUCTION ・ はじめのひとこと

ここ長崎の出島に、オランダの商館がありました。

日本が交易の相手を限っていたあいだ、交易を許された西洋の国は、オランダだけでした。

西洋の学問も、オランダを通して日本に入ってきます。

Here on Dejima in Nagasaki stood the Dutch trading post.

While Japan kept its trading partners few, the Netherlands was the only Western country allowed to trade.

Western learning, too, came into Japan through the Dutch.

Hier op Dejima in Nagasaki stond de Nederlandse handelspost.

Zolang Japan zijn handelspartners beperkte, was Nederland het enige westerse land dat handel mocht drijven.

Ook westerse kennis kwam via de Nederlanders Japan binnen.

オランダの商館が平戸からこの出島に移されたのは、1641年です。

その二年前の1639年に、ポルトガル人は日本から追い出されていました。

歴史家の村上直次郎は、『日蘭三百年の親交』という本にこう書いています。

「寛永の鎖國後、二百餘年間」、外国との関係はほとんど絶えていた。

そのあいだ、日本を西洋の文明に触れさせたのは「一にオランダの力なり」、ひとえにオランダの力だった、と。

西洋の学問は、オランダの本を通して学ばれました。

前野良沢まえのりょうたくと杉田玄白すぎたげんぱくたちは、持っていたオランダの解剖書の図を、実際に見たものと照らし合わせました。

そして図の正確さに感じ入り、その本を訳すことを思い立ちます。

こうしてできたのが、『解体新書』です。安永三年(1774年)に出版されました。

村上直次郎は、こう続けます。

「解體新書世にあらはるゝに及び、世人始めて西洋醫術の進步を認め」。

『解体新書』が世に出て、人々は初めて西洋の医術の進歩を知った、と。

幕府の天文方てんもんかたも、オランダの本で暦学れきがくと天文学を学んでいます。

RECORDS ・ 記録の言葉

この話のもとになった記録の言葉です。ページは、その本に刷られたものです。

幸田成友『日欧通交史』(岩波書店、1942年)

村上直次郎『日蘭三百年の親交』(冨山房、大正4年)

FOR GUIDES ・ ガイドのかたへ

PDF の後半 2 ページはガイド用です。読み上げる台本、語り方のコツ、事柄ごとに「どこまで言い切ってよいか」、記録の言葉と原本の切り出しが載っています。お客様用の面の裏に来ないよう、両面印刷で組んであります。

リストに保存