1600年、一隻のオランダの船が、豊後に流れ着きました。
その船の航海長は、イギリス人でした。名前は、ウィリアム・アダムスです。
やがて彼は徳川家康から、江戸に屋敷の土地を、逸見に知行、治める土地を与えられます。
In 1600, a Dutch ship drifted ashore in Bungo, in Kyushu.
Her pilot was an Englishman. His name was William Adams.
In time, Tokugawa Ieyasu gave him land for a house in Edo, and an estate at Hemi.
船の名は、リーフデ号です。
関ヶ原の戦いの少し前、アダムスは大坂城で家康に会いました。
家康はアダムスに、浦賀に近い逸見の地で、二百五十石の知行を与えます。
江戸の日本橋には、屋敷の土地を与えました。
『徳川初期の海外貿易家』という本は、その暮らしを「宛然旗本御家人の生活をなす」と書いています。
まるで旗本や御家人のような暮らしだった、と。
アダムスは、外国とのやりとりの仲立ちもしました。
イギリス国王の書状が幕府に届いたとき、その文面は「南蠻字」、西洋の文字で書かれていました。
そこで幕府は「アンジニ假名ニカヽセ」、按針に仮名で書かせています。
按針は、アダムスの日本での名です。
イギリス商館長のリチャード・コックスは、本社への手紙にこう書きました。
多くの日本の大名が部屋の外で待たされるなか、アダムスは自由に部屋に入って、将軍と話した、と。
アダムスが亡くなったのは1620年、平戸でした。
横須賀の逸見には、アダムス夫妻の墓があります。
けれどもアダムスは平戸で亡くなったので、記念碑と見るべきものだ、と歴史家の幸田成友は書いています。
The ship was the Liefde.
A little before the Battle of Sekigahara, Adams met Ieyasu at Osaka Castle.
Ieyasu gave Adams an estate of two hundred and fifty koku at Hemi, near Uraga.
In Nihonbashi, in Edo, he gave him land for a house.
A book called Overseas Traders of the Early Tokugawa Period describes his life in these words: "just like that of a hatamoto or gokenin."
As if he were one of the shogun's own retainers, it says.
Adams also served as a go-between with foreign countries.
When a letter from the King of England reached the shogunate, it was written in "southern barbarian letters," that is, a Western script.
So the shogunate "had Anjin write it out in kana."
Anjin, "the pilot," was the name Adams went by in Japan.
The head of the English trading post, Richard Cocks, wrote to the company at home:
while many Japanese lords stood waiting outside the room, Adams went in freely and talked with the shogun.
Adams died in 1620, at Hirado.
At Hemi, in Yokosuka, there is a grave of Adams and his wife.
But since Adams died at Hirado, the historian Kouda Shigetomo writes, it should be seen as a memorial.
この話のもとになった記録の言葉です。ページは、その本に刷られたものです。
徳川初期の海外貿易家
江戸日本橋に邸地を賜り、宛然旗本御家人の生活をなすを得たる
今も日本橋の魚河岸に於て安針町の町名を存するは、卽ちアダムスの邸地のありし所なりとす
家康より浦賀に近き逸見の地を給せられ、二百五十石の知行を食みて、
幸田成友『日欧通交史』(岩波書店、1942年)
リーフデ號一艘だけが一六〇〇年四月やつと豐後に漂着した。
航海長英人ウイリヤム·アダムスが大阪城で家康に面會したのは關ヶ原役の少し前であつた。
文言ハ南蠻字ニテ/アンジニ假名ニカヽセ候
多數の日本の諸侯が室外に立つて、入ることを許されざるに當り、彼は自由に室内に入つて將軍と對談した。
十六日を以て平戸で永眠した。
アダムス夫妻の墓があるが、アダムスは平戸で歿したのだから、之は記念碑と見るべきである。
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