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No.45イギリス日本橋

按針町 — 英国人の名が町名になり、死後百七十年を経ても燈籠が献じられた

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INTRODUCTION ・ はじめのひとこと

日本橋の魚河岸に、按針町あんじんちょうという町名がありました。

按針とは、一人の英国人の名前です。

ウィリアム・アダムス。ここに屋敷を持っていました。

By the fish market at Nihonbashi there was a district called Anjin-chō.

Anjin was the name of an Englishman.

William Adams. His house stood here.

アダムスは徳川家康に仕え、日本橋に邸地ていち、屋敷の土地を与えられました。

研究書はこう書きます。「宛然えんぜん旗本御家人の生活をなすを得たる」。

旗本や御家人と変わらない暮らしができた、ということです。

大正の本は、町の名がその人の屋敷のあった所にちなむ、と書いています。

彼が死んだあと、按針町の町民は毎年八斗はっとの米を寺に納めて、供養を続けました。

一年や二年ではありません。

死後百七十年余りたった寛政十年(1798年)、町民は石燈籠いしどうろうを二基、彼の塚の前に献じています。

名前をもらった町が、その人を忘れなかった、ということになります。

アダムス自身の手紙も残っています。1611年10月22日付、同胞に宛てたものです。

RECORDS ・ 記録の言葉

この話のもとになった記録の言葉です。ページは、その本に刷られたものです。

徳川初期の海外貿易家

幸田成友『日欧通交史』(岩波書店、1942年)

FOR GUIDES ・ ガイドのかたへ

PDF の後半 2 ページはガイド用です。読み上げる台本、語り方のコツ、事柄ごとに「どこまで言い切ってよいか」、記録の言葉と原本の切り出しが載っています。お客様用の面の裏に来ないよう、両面印刷で組んであります。

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