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No.74アメリカ増上寺

開拓使が買い取った増上寺の本院に、米人の教師がいた

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INTRODUCTION ・ はじめのひとこと

この増上寺ぞうじょうじの本院に、かつてアメリカ人の教師がいました。

雇われて、この寺に置かれていたのです。

それを書いているのは、役所どうしが土地をめぐって交わした書類です。

In the main quarters of this temple, Zoujouji, there were once American teachers.

They had been hired, and they were placed here, in this temple.

We know it from papers two government offices exchanged over a piece of land.

明治五年(1872年)の五月十二日。記録の日付は「壬申じんしん五月拾貳日じゅうににち」です。

開拓使かいたくしという役所が、東京府に掛け合いを出しました。

それによると、開拓使はこの寺の本院を買い取っていました。

そこに役所の出張所と、仮の学校を置いています。

そして、こう続けます。

「御雇おやとい教師米人等差置候さしおきそうろう義ニ付、構內手狹てぜま」。

雇った教師の米人らを置いているので、構内が狭い、と。

開拓使は、まわりの土地を払い下げてほしいと願い出ました。

門前の松と桜の植溜うえだめが三か所、あわせて千九十七坪。

そして出張所の構内が、七千六百三十四坪あまり。

絵図面も添えています。

東京府の答えは、否でした。

寺の境内の扱いは、この寺だけでなく、寺院全体のことである。

この山内のことは、正院せいいんで詮議せんぎ、話し合っている筋もある。

東京府は厳しく取り締まるよう、あらためて達たっしを受けている。

それに、こちらにも見込みがある。

だから、いまは引き渡せない。

東京府は、海軍省と陸軍省にも書き送っています。

これまで何度も打ち合わせてきたこの山内のことは、すべて取り消す。

ただし、院や寮の家屋を、双方の話し合いで買い入れるのは、差し支えない。

記録が教師について書いているのは、ここまでです。

名前も、人数も、何を教えたかも、書かれていません。

RECORDS ・ 記録の言葉

この話のもとになった記録の言葉です。ページは、その本に刷られたものです。

東京市編『東京市史稿 遊園篇第四』(東京市、昭和7年)

FOR GUIDES ・ ガイドのかたへ

PDF の後半 2 ページはガイド用です。読み上げる台本、語り方のコツ、事柄ごとに「どこまで言い切ってよいか」、記録の言葉と原本の切り出しが載っています。お客様用の面の裏に来ないよう、両面印刷で組んであります。

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