ガイドネタ帳 › 場所から › 首都圏 › No.91 外国人共通

浅草寺が公園になった日は、記録によって違う

印刷用の PDF は準備中です。文はこのページで読めます。

はじめのひとこと

お客様がいま立っているこの浅草寺の境内は、明治のはじめに公園になりました。

では、それはいつだったのか。

明治六年(1873年)のことですが、何月何日だったかは、記録によって違います。

The grounds of Sensoji, where you are standing, became a public park in the early Meiji years.

But when exactly did that happen?

It was in 1873, the sixth year of Meiji, but the month and the day differ from record to record.

『東京市史稿』という本に、浅草寺が公園になったことを書いた記録が並んでいます。

浅草公園の沿革えんかく、成り立ちの記述は、「明治六年二月收テ公園ト爲ス」と書きます。

明治六年二月に、収めて公園とした、という意味です。

『東京地理志料』は、明治六年三月に公園五か所が定められた、と書きます。

三月二十五日、東京府知事が大蔵省に出した伺うかがいもあります。

浅草寺や寛永寺のような場所を公園と定めよ、との仰せが出たので、ふさわしい場所を取り調べた、という書面です。

四月二十三日付けの租税頭そぜいのかみの書面は、五か所の地を公園と定める、として、その最初に金龍山浅草寺を挙げます。

六月十八日という日を書いた記録もあります。

明治七年(1874年)の戸長こちょうの伺書と、明治九年(1876年)の区戸長くこちょうの上申です。

どちらも、この日に公園と「仰せ出された」と書いています。

区戸長の上申は、その月から十二月までの、六か月半分の地代を計算しています。

『続武江年表』は、明治六年七月の条に、「淺草寺山內をも同しく公園と稱せらる」と書きます。

浅草寺の山内さんないも、同じく公園と呼ばれた、という意味です。

そして十月十九日、太政大臣の指令は、府の出した公園の規則を、まだ大まかだとしました。

欧米の国々に開かれた、いろいろな公園の形もあるのに、と書いて、もっと詳しく調べて伺い出直すよう命じています。

どれが本当の日かは、これらの記録のどれも言っていません。

記録の言葉

この話のもとになった記録の言葉です。ページは、その本に刷られたものです。

東京市編『東京市史稿 遊園篇第四』(東京市、昭和7年)

リストに保存