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No.51ドイツ長崎・出島

地図を渡した側は牢で死んだ — シーボルト事件の申渡もうしわたし

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INTRODUCTION ・ はじめのひとこと

南ドイツ生まれのシーボルトは、日本の地図を頼んで送らせ、罰を受けました。

彼への処分は、品物の没収と、二度と日本へ入れないこと。

地図を渡した日本人のほうは、牢で死にました。

Siebold, born in southern Germany, asked for maps of Japan, had them sent to him, and was punished.

His sentence was the loss of the goods, and a ban on ever entering Japan again.

The Japanese official who had given him the maps died in prison.

Siebold, in Süddeutschland geboren, ließ sich Landkarten Japans schicken und wurde dafür bestraft.

Seine Strafe: die Sachen wurden eingezogen, und er durfte nie wieder nach Japan einreisen.

Der Japaner, der ihm die Karten gegeben hatte, starb im Gefängnis.

渡したのは、高橋作左衛門たかはしさくざえもんという幕府の天文方てんもんかたの役人でした。

長崎奉行がオランダ商館長に出した命令書に、経緯が書かれています。

シーボルトが江戸へ来たとき、高橋と度々会い、日本地図と蝦夷えぞ図その他を頼んだ。

高橋がそれを送った、と。

申渡もうしわたし、罰の言い渡しは、九月二十五日、立山たてやまの御役所おやくしょで、両長崎奉行の立ち合いのもとに読み上げられました。

和文の日付は「文政十二年丑九月」。同じ文書の蘭訳には「一八二九年十月」とあります。

贈られた品の中に禁制の品があったこと、通詞つうじ、通訳に告げずに受け取ったこと、そして国法に背いたこと。

そのうえで、こう結びます。

「依之これにより貰請候もらいうけそうろう品取上げ、以來國禁申付候もうしつけそうろう」。

品を取り上げ、以後の入国を禁じる。

日本側の処分は、これより重いものでした。

高橋作左衛門、四十四歳。下河辺林右衛門しもこうべりんえもん、五十一歳。二人とも召し捕られました。

そして事件の日次ひなみ、日付の順を並べた表に、一行だけこうあります。

「高橋作左衞門牢死ろうし」。

RECORDS ・ 記録の言葉

この話のもとになった記録の言葉です。ページは、その本に刷られたものです。

シーボルト先生 : 其生涯及功業

FOR GUIDES ・ ガイドのかたへ

PDF の後半 2 ページはガイド用です。読み上げる台本、語り方のコツ、事柄ごとに「どこまで言い切ってよいか」、記録の言葉と原本の切り出しが載っています。お客様用の面の裏に来ないよう、両面印刷で組んであります。

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