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No.65外国人共通上野公園

花の頃の上野で、子どもの玩具の三味線を許してほしいと掛茶屋が重ねて願い出た

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INTRODUCTION ・ はじめのひとこと

この上野の山で、花の頃に三味線を鳴らしてよいかが、役所に願い出されたことがあります。

同じ年、山の扱いを決める伺いのなかに、こう書かれていました。

「近來外國人モ許多あまた遊覽仕候ヘハ」。近ごろは外国人も多く遊覧しているので、と。

Here on the hill of Ueno, someone once petitioned the authorities to be allowed to play the shamisen in cherry-blossom time.

That same year, a letter deciding how the hill should be run said this:

"Since of late many foreigners, too, come here to see the sights."

明治四年(1871年)、この山は、大学の東校とうこうの用地になっていました。

大学は、弁官べんかんに伺いを出します。

この山は昔から人々が遊び見て回るところで、花の頃は酒宴も掛茶屋かけぢゃやも許されてきた。

まだ建物の工事を始めていないので、しばらくはこれまでどおり許しておきたい。

ただ、花の頃には毎日人が押し寄せ、酒に乱れて暴れる者がいるかもしれない。

「近來外國人モ許多あまた遊覽仕候ヘハ」。近ごろは外国人も多く遊覧しているので、思わぬことが起きないとも限らない、と。

弁官の答えは、これまでどおり許してよい、ただし取り締まりは東京府と相談せよ、というものでした。

その年の二月、山に建札が立ちました。

桜の木は一枝たりとも折り取らないこと。山の中で、歌や楽器、音曲おんぎょくの類を固く禁じること。

掛茶屋の者たちが、歎願書たんがんしょを出します。

酒や食べ物は許されたが、鳴物なりものは許されない。客が持ってきた分だけは許してほしい。客が来なくなれば、その日の暮らしに困る、と。

掛茶屋の者たちは、もう一度願い出ます。

花のあいだだけ、客が持ってくる子どもの玩具の三味線を、特別に許してもらえないか。

『東京市史稿』は、この一件に見出しを付けています。

「花時かじノ音曲ヲ禁止ス、幾いくモナク之ヲ許ス」。花の頃の音曲を禁じ、ほどなくこれを許した。

願いが聞き入れられて許したのかどうかは、書かれていません。

RECORDS ・ 記録の言葉

この話のもとになった記録の言葉です。ページは、その本に刷られたものです。

東京市編『東京市史稿 遊園篇第四』(東京市、昭和7年)

FOR GUIDES ・ ガイドのかたへ

PDF の後半 2 ページはガイド用です。読み上げる台本、語り方のコツ、事柄ごとに「どこまで言い切ってよいか」、記録の言葉と原本の切り出しが載っています。お客様用の面の裏に来ないよう、両面印刷で組んであります。

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