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No.70外国人共通上野公園

文部省は、上野の山に学校と公園を両方立てられると書いた

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INTRODUCTION ・ はじめのひとこと

お客様がいま立っているこの上野の山は、明治のはじめ、学校の話と公園の話が、相次いで持ち上がった場所です。

明治六年(1873年)、文部省は、この山に学校を建てても、公園は設けられる、と書きました。

学校と公園の、両方が立つ、という書き方でした。

This hill of Ueno, where you are standing, was a place where talk of a school and talk of a park came up one after the other.

In 1873, the sixth year of Meiji, the Ministry of Education wrote that even with schools built here, a park could still be set up.

Its words were that both, the school and the park, could stand.

その文書は、明治六年(1873年)四月九日、文部卿もんぶきょうの大木喬任おおきたかとうが、政府の正院せいいんへ出したものです。

文書は、まずこう書きます。

この山を差し出すよう命じられた、その御用が何かは、承知していない。

けれども、公園を設けることについては、少し前に政府から問い合わせがあった。

もし、その公園のために、この山が要るのなら。

学校をいくつ建てても、山は広いので、差し支えないように、どのようにでもなる。

木々のあいだには、あちこちに空き地がある。

だから、おのずと公園も設けられるだろう。

実地を調べ、指図に従って「兩全りょうぜん之處分しょぶん」、両方が立つように取り計らいたい、と。

学校を建てたい文部省が、同じ文書の中で、公園と両立させると申し出ていたのです。

RECORDS ・ 記録の言葉

この話のもとになった記録の言葉です。ページは、その本に刷られたものです。

東京市編『東京市史稿 遊園篇第四』(東京市、昭和7年)

FOR GUIDES ・ ガイドのかたへ

PDF の後半 2 ページはガイド用です。読み上げる台本、語り方のコツ、事柄ごとに「どこまで言い切ってよいか」、記録の言葉と原本の切り出しが載っています。お客様用の面の裏に来ないよう、両面印刷で組んであります。

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