ガイドネタ帳 › 場所から › 首都圏 › No.81 外国人共通

増上寺の大門の内に床見世とこみせを並べたいと、小さな商人たちが願い出た

印刷用の PDF は準備中です。文はこのページで読めます。

はじめのひとこと

いま立っているこの増上寺ぞうじょうじの大門の内の通りに、明治五年(1872年)、床見世とこみせを並べたいという願いが出されました。

願い出たのは、増上寺と、門前の町々の小さな商人たちです。

その願書と、役所の伺いが残っています。

Along the road inside the great gate of Zojoji, where you are standing now, a request was made in 1872, the fifth year of Meiji, to set up rows of small stalls.

The request came from Zojoji and from the small merchants of the temple-front towns.

The petition, and the officials' query about it, survive.

願書は、こう書いています。

「近來住居人無數ニ相成候ニ付、小前商人共自分商業ニ離レ候姿ニ相成、追々活計差迫候」。

近ごろ住む人が少なくなり、小さな商人たちは商いから離れたようになって、暮らしが追々差し迫っている、と。

増上寺は参詣人の集まる場所なので、大門の内の通りの両側、坊中ぼうちゅうの前の下水の上に床見世を建てて貸したい。

境内の山門の外には掛茶屋かけぢゃやを設けて、参詣人の休み所にしたい。

地代の半分は、このたび取り建てる幼育社の用途に献納したい、とも書いています。

東京府は、この件を海軍省に問い合わせました。

海軍省の答えは、当省に差し支えはないので許可されたい、というものでした。

明治五年五月九日の朱書しゅがきは、願いのとおり聞き届けてよいか、と伺っています。

往来の妨げになる場所でもなく、小さな商人たちの暮らしのためになる、というのがその理由です。

地代は近く一定の規則を立てるので、そのことを願い主に申し聞かせる、とも添えました。

この願書には、増上寺のほか、芝七軒町の仙波徳次郎と、芝中門前の高橋徳三郎が名を連ねています。

二年後の明治七年十一月、同じ名の二人が、芝公園地の南松原の内に、掛け床を七か所設けたいと申し出ました。

東京府の庶務本課は、場所が狭く、この上新しく許せば、混み合って汚れ、景色を損なう、と伺いました。

十一月二十八日に渡された指令は、公園地への床店と葭簀張よしずばりの新しい設置は聞き届けがたい、というものでした。

記録の言葉

この話のもとになった記録の言葉です。ページは、その本に刷られたものです。

東京市編『東京市史稿 遊園篇第四』(東京市、昭和7年)

  • 明治五壬申年五月九日/右は往還之妨等相成候場所にも無之、小前商人共活計之爲に相成候義に付、願之通御聞屆相成可然哉
  • 壬申五月願人增上寺/此度芝山內に床見世懸茶屋補理致し度段、增上寺門前町々小前之商人共ゟ願出
  • 近來住居人無數ニ相成候ニ付、小前商人共自分商業ニ離レ候姿ニ相成、追々活計差迫候
  • 增上寺之儀は參詣人差湊候場所ニ付、大門內通兩側坊中前下水之上に、別帋繪圖朱引之通床見世取建貸渡商爲仕候ハヽ/且又境內山門外に掛茶屋補理、參詣人休息所ニいたし候樣仕度奉存候
  • 尤右地代料之內半減は今般幼育社御取建ニ付、御用途之內献納仕度奉存候
  • 茶屋地代料之儀は、近々一定之規則可相立に付、其旨願主に申聞、幼育社に献納之儀は、追而相當御取極相成可然哉
  • 壬申五月願人增上寺同芝七軒町二番地主床居家作人總代仙波德次郎同芝中門前壹丁目六番借地高橋德三郎
  • 壬申五月七日/海軍省御中/當省ニ於テ差支之廉無之候條、御許可相成度候也。
  • 芝公園地南松原之內、別紙之通リ掛ケ床七ケ所補理申度旨、仙波德次郎・高橋德三郎ゟ申出候間、場所取調候處、往還等に差障無御座候間、本人共願之通場所貸渡シ候…苦シカル間敷哉、此段奉伺候也。/七年十一月
  • 右ハ場所狹隘ニテ此上新規願差許候…稠密汚穢ヲ生シ、且風致ヲ損シ候ニ付、御聞屆無之方可然哉/書面公園地へ床店并葭簀張共新規補理之義ハ難聞屆候事。十一月廿八日渡
リストに保存