ガイドネタ帳 › 場所から › 首都圏 › No.82 アメリカ

増上寺の旧方丈跡に開拓使の仮学校があり、アメリカ人が教えていた

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はじめのひとこと

いま立っているこの増上寺ぞうじょうじの、かつての方丈ほうじょうの跡に、明治五年(1872年)、開拓使かいたくしの仮学校が開かれました。

教頭に迎えられたのは、アメリカ人の教師です。

この学校は、のちに札幌へ移り、札幌農学校と名を改めます。

On the site of the former abbot's quarters of Zojoji, where you are standing now, the Hokkaido Development Commission opened a temporary school in 1872, the fifth year of Meiji.

The man brought in as its head teacher was an American.

The school later moved to Sapporo, and was renamed the Sapporo Agricultural College.

仮学校には、普通と専門の二つの科が置かれました。

生徒は百人。官費と私費で五十人ずつです。

官費の生徒は卒業後十年、私費の生徒は五年、北海道の開拓に従事すると約束させられました。

四月に開校式を行います。

五月、アメリカ人のトヲマス・アンチセルが、教頭兼化学・地質学の教師になりました。

英語・数学の教師になったのは、ゼームス・アル・ワツソンです。

明治七年(1874年)三月、アンチセルは満期で職を解かれています。

明治八年(1875年)三月、仮学校を札幌へ移すことが決まりました。

その七月に札幌の校舎ができ、学校は札幌学校と名づけられます。

明治九年(1876年)七月、アメリカから招かれた農学の教頭クラルクが、札幌に着きました。

八月、学校は札幌農学校と改められます。

クラルクが教えたのは札幌で、ここ増上寺の仮学校ではありません。

記録の言葉

この話のもとになった記録の言葉です。ページは、その本に刷られたものです。

大蔵省『開拓使事業報告』第四編(大蔵省、明治18年)一次史料

  • 〔明治八年〕三月東京芝假學校ヲ札幌ニ移スノ議決シ校舍修築ニ着手シ在米吉田公使ニ囑シ農學教師ヲ聘ス○七月校舍成ル札幌學校ト名ク
  • 〔九年〕/○七月曩ニ吉田公使ニ因テ聘セシ米國麻薩朱色邦農學教頭「ウ井リアム、エス、クラルク」該校卒業生「ウ井リアム、ホウ井レル」「デ、ピ、ペンハロー」二名ト共ニ札幌ニ至ル是ニ於テ「クラルク」ヲ教頭/○八月本校ヲ札幌農學校ト改稱ス
  • 〔明治五年〕三月東京芝增上寺舊方丈跡ヲ以テ假學校ト爲シ普通專門二科ヲ設ケ
  • 生徒百名ヲ限リ官費私費各五十名官費生ハ卒業後十年私費生ハ五年北海道開拓ニ從事スルヲ約シ
  • ○四月開校式ヲ行フ○五月米人「トヲマス、アンチセル」ヲ教頭兼化學地質學教師「ゼームス、アル、ワツソン」ヲ英語數學教師トス
  • 〔七年〕三月「アンチセル」滿期解雇
  • 〔八年〕一月英語教師「ベーツ」病死米人「ジヨルジ、ジ、ロツクウヱル」ヲ後任トス/○七月「ロツクウヱル」解雇米人「ウイリアム、コルウイン」ヲ後任トス
  • 〔八年〕一月/○七月「ロツクウヱル」解雇米人「ウイリアム、コルウイン」ヲ後任トス假學校及女學校ヲ札幌ニ移シ札幌學校ト稱ス
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