ガイドネタ帳 › 場所から › 首都圏 › No.83 外国人共通

築地の火事で焼け出された海軍の水路局が、増上寺の山内に移った

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はじめのひとこと

いま立っているこの増上寺ぞうじょうじの山内に、海軍の役所が引き移ってきたことがあります。

築地の火事で、水兵本部と水路局が焼けたからです。

明治五年(1872年)、壬申じんしんの年の三月の海軍省の書面が、そう書いています。

Into the grounds of Zojoji, where you are standing now, a navy office once moved.

Its sailors' headquarters and hydrographic bureau had burned down in a fire at Tsukiji.

So says a Navy Ministry letter of the third month of 1872, the fifth year of Meiji.

壬申三月四日、海軍省は正院せいいんに、こう書き送りました。

増上寺は海軍に便利な土地なので、艦船に乗り組む士官の揚陸所ようりくしょなどにしたい。建物は買い上げる話がほぼ整っている。

先日の築地の類焼るいしょうで、水兵本部と水路局が焼けたので、とりあえず芝の山内へ引き移った。

役に就いていない士官たちも住まわせているので、行く行くは山内を海軍省の支配地にしてほしい、と。

けれども東京府は、府の手を経ずに相対あいたいで買い入れるのは筋が通らない、と承諾しませんでした。

増上寺は、七軒のほかは買い上げられても差し支えないが、長年の疲弊の折柄なので、いたわりの沙汰を願いたい、と答えています。

その後、東京府は海軍省と陸軍省に、山内のことはすべて取り消す、と申し進めました。ただし、相対で院寮いんりょうの家屋を買い入れるのは強いて差し支えない、とも添えています。

記録の言葉

この話のもとになった記録の言葉です。ページは、その本に刷られたものです。

東京市編『東京市史稿 遊園篇第四』(東京市、昭和7年)

  • 芝增上寺之儀ハ海軍辦利之地ニ候間、艦船乘組士官揚陸所等ニ致度目算ヨリ、惣テ家作之儀ハ當省ヨリ增上寺ヘ申入、相當ノ直段ニテ買上候都合略相調候折柄/壬申三月四日
  • 過日築地類燒ノ節水兵本部並水路局共燒失致候間、不取敢芝山內ヘ引移申候
  • 依テハ前々ヨリ非役士官等住居爲致置候ニ付テハ、增上寺之爲取締掛之者兼テ出張申付置候條、末々モ追テハ當省支配地ニ可被仰付候樣、兼テ申出仕候也。
  • 黄色之分當省ヘ賣渡候者、同寺ヨリ返答承屆候ニ付、爲御心得不取敢御案內申入候/壬申三月七日
  • 右ハ同寺所分ノ義ハ、當府ヨリモ正院申立置候次第モ有之、且地方之手ヲ經スシテ御相對御買入相成候モ難得其意義ト被存、且增上寺ヨリ申出候品モ有之、旁承諾致兼候間
  • 前七軒ノ外先般代料見積書ヲ以テ申上候向、一同御買上相成候テモ差支無御座候、乍去累年疲弊之折柄ニ付、御愛恤御沙汰被成下候樣奉願候/壬申四月增上寺
  • 先般中屢々御打合有之候內、同山內云々ハ渾テ取消シ候條左樣可被成候。尤相對以テ院寮家屋御買入被成候義ハ强テ差閊無之候間
  • 明治五年壬申正月日枝神社ノ西ニ渡船貳ヲ置キ
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